眩しすぎるライトを消せーNIPPONロマンスポルノ'19 神vs神によせて

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ポルノグラフィティが、20歳になる。

つまりわたしのファン人生が10年になったということだ。

ヒット曲を作ろう、そんな思いで世に送り出されたハネウマライダーをまんまと母が気に入って、もはや覚えてないけど確かシングルがたくさん入ってるからだった気がする理由でm-CABIを買って(今までほとんどレンタルだったのに)、誕生日プレゼントにと連れて行かれた立ち見の大阪城ホールが、わたしにとって初めてのライブで、初めてのポルノグラフィティだった、OPEN MUSIC CABINET。

未だに母は、「あそこに連れてかなきゃこんな浪費家にはならなかったのに」と笑う。わたしもそう思う。良くも悪くも、わたしの人生の転換期は、2007年5月1日だ。

それまでろくに家族以外と遠出もしたことなかったのに勢いだけでチケットと難波から出るシャトルバスのチケットを予約して親に事後承諾で無理矢理行った淡路ロマンスポルノ’08(バスから降りたときに見えたどでかいセットの頭おかしさは今でも鮮明に記憶に残っている)、初めての『ツアー初日』と『折り返し』を経験したロイヤルストレートフラッシュ(神戸に行く日が盥を返したような大雨だった)、初めて遠征した∠TARGET(おかのの髪型がゆでたまごみたいだったことくらいしか記憶がない)、くっきりリストバンドの形に日焼けしたつま恋ロマンスポルノ'11(くれたけ)、申し込んだらうっかり全部取れちゃって3日間通ったFCUW4(白衣ほんとうにありがとうございました)、ちょっとポルノに対して斜に構えたくなってたお年頃だった割に金沢まで行ってたPANORAMA×42’(ツイログ見返して笑ったし当時から今までしっかりツイ廃で泣けた)、ほぼ初めての野外フェスだったBBQinつま恋(MVPはBEGIN兄さんだった気もする)、何より大好きな『アリーナに立つポルノグラフィティ』に胸が熱くなったラヴ・E・メール・フロム・1999(ラックて)、はじめて憧れの横浜アリーナに連れて行ってもらって、ほっともっとスタジアムてどこやねんと思った神戸・横浜ロマンスポルノ'14(めちゃくちゃ森の中だった)(NEWSと自分たちしかライブしてない発言の後にトロッコで出てくるポルノグラフィティ)(アイドルのオマージュか?)、突然セットのサイが動き出してビビったThe dice are cast(ANGRY BIRD始まりってだけでもうチケット代の元取った)(この頃既にジャニオタになってたけどまるちゃんが滋賀公演に遊びに来てくれてて笑う推しのクロスオーバー!)、命削るみたいなTHE DAYに鳥肌立った横浜ロマンスポルノ'16、初めてライビュに行った真赤激(カープおめでとう)、ポルノの照明班は変態だと確信を深めたBUTTERFLY EFFECT(まさかの夜間飛行始まり、ゾクゾクした)、雨って怖いなと思ったしまなみロマンスポルノ'18、散々浮気していろんなところに目移りしても、結局、最後に帰ってきてしまうのはポルノグラフィティだとようやく諦めがついたUNFADED。

アポロが発売されたとき小学校1年生だったわたしの、人生のほぼ半分近く、つねにぴったりとポルノグラフィティがそこにいた。

ポルノグラフィティは、なぜかファン層が年を取らない、不思議なバンドだと思っている。

今年27になったわたしは、自分をちょうどポルノ世代だと思うのだけど、少し年上のお姉さんお兄さんにポルノが好きだと言うと、「ちょっと(ポルノ世代にしては)下じゃない?」と言われ続けてきた。確かにアポロアゲハ蝶世代ではなくて、第二次ポルノブームとでも言えばいいのか、爆発的にメリッサが流行ったタイミングの世代ではあると思うけれど。その逆に、未だに高校生くらいの男の子や女の子が、わくわくした顔でツアーTシャツを身に着けて、首に提げたタオルをギュッと握りしめて最寄りの駅から会場に向かう後姿を見ることができる。

たいていのバンドは、バンドと一緒にファン層もそれなりに上がっていくものだと思っていたから(それなりに上がってはいるんだろうけど)、なんとなく、ずっと若い子が絶えないというのは、バンドを続けるにあたってものすごい才能なんだろうなあ、と思う。新しいファンが増えなきゃ、続くものも続かないことを、素人でもぼんやりとわかっている。

14歳のわたしが頭をぶん殴られたあの日の衝撃を、彼らはそれから10年、ずっと誰かに与え続けてきたわけで。

わたしはそんな彼らの輝きと音楽に、ときには必死に、ときには惰性で、それでもずっと手を引いてもらって人生を歩んできた。大げさでなく、ほんとうに、わたしのこれまでを振り返ったら、ポルノのいない瞬間なんてほとんどないんじゃないだろうか。

先述したように何を間違ったかジャニーズにハマったりもして、正直興味が薄れた瞬間はあったけど、でも、やっぱり人生の軸はポルノで、岡野昭仁新藤晴一で、彼らのいない瞬間の自分、を、わたしはいまだに上手く想像できない。

ポルノは、いい意味で優等生的なバンドだと思う。

だからいろんな人の「あーポルノ?昔聞いてたわ」的な『音楽の入り口』になるんだろうし、ずっと好きでいても、嫌になる瞬間のない、稀有なロックバンドのおじさんだなあ、と最近特にしみじみ思う。

ポルノのいい人成分は、まあほぼおかのおじさんのとんでもないレベルのいい人具合によるものなんだけども、先日ついに、ファン人生10年目にして、はじめて因島に行って(連れてってくれてありがとうチェッカーズ)、ここ長谷川京子が歩いたらあかんやろって感じののどかすぎる景色とやわらかい瀬戸内の波に触れて、ああ、なるほど、そりゃああなるわ、とちょっと打ちのめされた。

だって自転車で通り過ぎざまに謎のおっちゃんに「いいお尻してるね~!」って声かけられるような島ですよ。ちょっかいのかけ方までのどかかよ。

そんなところから、あのやさしいひとたちが、大阪みたいなごちゃごちゃしたわけのわからない街に出てきて、東京まで駆け上がって、気が付いたら20年、ずっとそこに居続けてくれている。それがどれだけたいへんなことか、当たり前に続くと思っていたものが続かなくなったとき、つくづく思い知った。

ポルノは青春だから穢せない、そう語った晴一くんの言葉が今も重たく自分の中に残っていて。

穢せないから蓋を閉じてしまうんじゃなく、穢せない、輝かしい青春のまま、ポルノをポルノとして、不惑を超えた自分ごと、次のステージに持って行こうとしてくれていることが、ほんとうに嬉しいし、誇らしくもある。

たいせつなものをたいせつにすること、それは人によって違う形であることはもちろんだけど。

最近の彼の詞の「過去」と「現在」は、輝かしい夢を持っていたあの頃の自分を眩しく思いながら、でも今だって頑張ってんだよ悪くないでしょう、そう笑いかける、そんなやさしくて少しほろ苦い問いかけだ。かたやおかのは、いつも過去の何も知らない、ゆえに最強だったころの自分を恥ずかしく思うような、あいつなにやっとんねん、おとなになった自分の距離からそう苦く噛み潰しながら、過去より未来へ、そう踏み出すような力強い一歩を踏む。VSのカップリング、プリズムと一雫、きっと同じような過去と未来の話をしているのに、こんなにも違うことが面白かったし、そんな二人だから、今まで並び立ってやってこれたんだろうな、とも思う。

そんなふたりがずっと大切にしてきたポルノグラフィティが、ことし、20歳になる。

Tamaちゃんがいなくなって、本間さんの手を離れて、固定メンバーだったサポメンが少しずつ顔を変えて。ポルノグラフィティという大きな枠、おかのの言うところの小さなおうちは、ゆるやかに変わりながらもずっとそこにいて、いつだって、わたしにとっての帰る場所だった。実家、と呼ぶのは、ずっとそこにいてくれると勝手に信じているからだ。

変わらずにそこにいて、でも変わり続けていくこと。進化を止めない彼らだからこそ、今なお第一線で戦い続けていられていることを知っている。

ずっと、どこかで『本格派』とでも言うべきロックファンに、ポップスの王道を行くことを指差されて馬鹿にされているんじゃないか、そんな目に彼らが晒されているんじゃないか、と勝手に心配していたけど、因縁の(笑)ロッキン、あのステージで応えたオーディエンスが、彼らの切り開いてきた王道への最高のアンサーだったんじゃないか、と、現場に行けなかったわたしでさえ思っていて。

あれをきっかけに、ちらほら、ちょうどわたしと同い年くらい、第二次ポルノブーム”メリッサ”世代のバンドマンたちが、ポルノ超聴いてました、なんて嬉しい言葉を彼らにかけてくれるようになって、わたしが勝手に嬉しいし誇らしくもある。王道を行くことは簡単じゃなくて、でも、それを貫くことは絶対にかっこいいのだ、と、わたしは彼らの背中を見て知った。

最近応援するようになったアイドルも、悪く言えば意外性のないキラキラの、王道をいくアイドル路線で。癖のある他のグループと比べられて下げられてしまうこともある。でも、わたしはもう、王道を行くかっこよさを、10年前から知ってるから、なんにも心配していない。奇をてらわないかっこよさ、というのがちゃんと証明されているからだ。

キラキラといえば、因島への道中、ポルノのキラキラした音が好きだという話になった。もっと青い、10代のころなんかは、ラックとか、渦とか、ドンクレとか。そういう、ベースもギターもギャンギャンに鳴りまっせ、みたいな重たくて黒っぽい音が大好きで(今も大好きだけれど)、明るくてキラキラした曲よりそういうのをもっとやってよ、とさえ思っていた。

もしかしたらこれはわたしが年を取ったからかもしれないけど、今やキラキラしてやさしくて、でも力強く背を押してくれる多幸感のある音楽こそ、ポルノの真骨頂じゃないかとさえ思えていて。おかのの明度と彩度の高い声は、ぜったいに曲を明に持っていく力があるから。(だからこそ暗い曲にも映えるのだけれど)

ポルノグラフィティというバンドはひかりを歌うバンドだ、と、最近常々思う。

尖りたかった時期もあるんだろうけど(晴一くんには未だにその傾向が見えなくもないけど)、どうやったってきみたちはあの海で育ったひかりのこどもたちなんだから、もう諦めなよ、と思ってしまう。

そうして誰かを導いて、眩しいひかりの中に連れて行ってしまう、そういうひとたちだ。

もう諦めて、一生キラキラ眩しいひかりを背負って立っていてほしい。20年やってきてそうなんだから、もうたぶん一生そうだよ。革ジャン着てサングラスかけて咥え煙草より、芝生のステージの上でTシャツで、汗で前髪貼り付かせて観客に向かって両手を広げる、その姿のほうがよっぽど想像が付く。Sex,drug,R&Rは無理でも、それでもポルノはバンドだし、王道のポップスで世界を殴り続けるその背中はロックだよ。

斜に構えるのがかっこいいってどこかで思っていたわたしの手を引いて、すなおに楽しいって言えばいいじゃん、だって楽しいもん、そう10年かけて教えてくれたのはポルノだった。

10周年の東京ドーム、受験だったからあきらめた悔しい思い出ごと抱えて20周年のポルノに、ポルノが出会わせてくれただいすきな友達と一緒に会いに行けるのが本当にうれしい!(10年前のわたしならこんな素直な書き方できなかっただろうな、と思う)

20年続けてくれて、そこに居続けてくれてありがとう、今年も会いに行けてうれしいよ!

お誕生日おめでとう!

 

20周年、NIPPONロマンスポルノ’19~神vs神~ 開催に寄せて

なこ