100年生きたねこのこと

☆ただの日記なのでジャニーズの話はありません☆

 

松の内が明けたので…

みなさんにもツイッターで可愛がっていただいた、おじいちゃんことうちのちーちゃんが、12月30日にお星様になりました。

2017年の9月に体調を崩してから、もう1年4ヶ月も嫌いな病院に通い続けて、19年と8ヶ月も頑張って生きてくれたことになります。

 

もともと彼は捨て猫で、いとこが拾った子猫の頃にわたしがどうしても譲って欲しいと珍しく駄々をこねて譲り受けた猫でした。

真っ白な毛並みに水色の目、ピンクのお鼻と肉球がとても可愛くて、わたしは一目で夢中になりました。

動物はハムスターしか飼ったことがなかった我が家でははじめての大きなペットで、わたしはよく髪にじゃれつかれては泣いていたような気がします。やんちゃが過ぎて飼っていたハムスターに噛み付いてしまったこともありました、ごめんなリンちゃん…。二度とハムスターは飼うまいと誓いました…。

手が大きいから大きくなるよ、と動物病院で言われた通り、たぶん洋猫が混じっていたのでしょう、骨格のしっかりとした男前になりました。一番大きい時で5kgくらいはあったかなあ。

真っ白だった毛並みの顔と背中、尻尾にベージュの縞が出てきて、耳も茶色くなって、詐欺やなあなんて話したのを覚えています。

もともと母の実家で放し飼いだったせいか外が好きで、リードをつけて散歩をするたび近所の方に「犬かと思った」と驚かれたりもして。それだけでは飽き足らず、よく勝手に窓を開けて出て行ってしまったりもしましたね。

去勢手術をしたのに年に一度は必ず野良猫と大げんかをして病院のお世話になって。もうおじいちゃんなんだからやめときなと言っても聞くわけもなく、顔に大きな怪我をして帰ってきたときはどうしようかと思いました。

顔の中にあった脂肪腫の膿が破裂して、もう開かないかもしれないと言われた左目も、手術のせいで少しツリ目になってもきちんと開いてきれいな水色のままでした。

おなかにある大きな脂肪腫は、良性だし、切除部分が大きくなってしまうからとそのままにしていましたが、それが彼にとって良かったのかは今となってはもう分かりません。歩くとき邪魔じゃなかったかなあ。

去年の9月、わたしがヤフオクドームに出発する前日に、急にぐったりしたちーを病院に連れて行ったら、腎臓病です、と子猫の時から診てくださっている先生が仰いました。あまり水を飲まない猫は、たいてい高齢になると腎臓病になって最期を迎える。知識としては知っていましたが、なんだか自分の家の猫のこととなると現実味がなくて。福岡に向かう新幹線で、「猫 腎臓病 寿命」と調べたのを覚えています。でも、覚悟したよりずっと長生きしてくれたなあ。

腎臓病のねこは突然今までの食事に飽きて同じものばかり食べ続ける、と言われた通り、今までのペットフードを食べなくなって、一時期はササミばかり食べていました。冷凍でたくさん買ったササミをレンジで温めて、ほぐしてあげるまでに何度も足元で「早くしろ」とばかりににゃあにゃあ鳴いていたのを、うるさいなあなんて言わなきゃ良かった。

ドライフードを喉に詰めて痙攣を起こした時、朝早くから開いている緊急病院に連れて行ったら「脳梗塞を起こしています」と言われて。左半身に麻痺が残るかも、と言われたのに、自分の足で歩ける間は、ゆっくりでも、全然普通にしっかり歩いていて。こんなに小さいのに、ちゃんと動くほうの脳がカバーしてるんだと驚きました。

あまり動けなくなってからはなぜかわたしの部屋のソファが気に入ってしまって、いつも椅子を取り合っていました。

そのうちトイレの場所がわからなくなって部屋中いろんなところでするようになって、何冊か雑誌もダメになって、なんでなんって怒ってしまったこともあった。きっともうあのときほとんど目も見えていなくて、でもわたしが撫でるとゴロゴロ喉を鳴らす、とてもかわいいおじいちゃんだったのに。

後悔なんてたくさんあって、彼が家に来たときわたしはまだまだ子供で、ちゃんと可愛がってあげられた記憶なんてほとんどなくて。結局母にいろんなことを押し付けてしまっていたような気がします。

1週間前くらいから急に食が細くなって、トイレのためにベッドから降りられなくなって、昨日の朝、起きたらもう口で息をしていて、素人目にもああもうダメだ、とわかる状態でした。

犬と違ってねこって基本鼻呼吸なので、鳴くときとご飯食べるときくらいしか口開けないんですよね。そんな彼が、口を開けて苦しそうに息をしている。母が「がんばれ、がんばれ」って体をさすっていたけど、わたしはもうがんばらなくていいよ、と思ってしまった。

だって1年以上、嫌いな病院に通い続けて、点滴で重たい体を引きずって、もう自分の意思で大好きだったごはんも食べられなくなって、外の日の光を浴びて目を細めることもできなくなった彼が、これ以上がんばったところで、それはしあわせなことなのか、それがもうわからなくなってしまったから。

そんなことをぐるぐる考えながら、いつも触ったらゴロゴロ喉を鳴らした耳の後ろを撫でた。ぱくぱく、って口を二回開けて、それが最後で、動かなくなってしまった。

もともと動けなくなってからひんやり冷たかった肉球だけじゃ彼の生死が測れなくて、でも半開きになったままの口と目で、もう動かないんだってわかって。

体は動かなくてもそこだけは意思がはっきりしてた、元気な頃はいろんなものを叩き落としてたしっぽを、持ち上げてみてもぱたん、て落ちるだけで。

今日の朝、近くの火葬場に、お花をたくさんと、病院に行くときに着せていた冬の上着と一緒に預けてきました。火葬場の職員さんが、もっとビジネスライクな感じかなと思ってたら「これが最後になりますから、話すことがあれば」って言ってくれて、もう冷たくて硬くなってしまった手をとって、ありがとうねと伝えるのが精一杯だった。もうゴロゴロ言わない頰を触るだけで泣けてくるから。

彼が体調を崩してから、わたしはずーっと、「まだこれから100年生きるもんなあ」って言い続けてて、たぶんちょうど19歳で、人間でいうとこの96歳くらいになるんですけど。19歳と8ヶ月も生きたんだから、もう概算100歳ってことにしてくれないかなあ。うちのねこ、100年生きたんですよってことにしちゃだめかなあ。

ちーちゃんよ、うちにきて楽しかったかい?ほんとにずーっと、誰に見せても褒められる、世界一可愛いうちのこでいてくれてありがとうね。

嫌じゃなかったら、またどこかで会おうね。あんまりいい家族じゃなかったかもしれないけど、ねこなのにプリンとシュークリームに目がなかったきみのことが、本当に大好きでした。

19年、ううん100年ぶん、たくさんたくさんありがとう。

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