14/7/2018 目の前の向こうへ進むきみたちへ

嘘みたいな三か月だった。
今もまだ、関ジャニ∞のメンバーカラーから赤色が消えるという事実を、わたしはきっと呑み込めていない。
だから、なんとなく、お祭りみたいな『最後の』のおどる一週間を、ぼーっと乗り越えてしまった。

しょうじき、わたしはそんなにテレビを見ない。
関ジャニ∞のファンになってから、ジャニオタってこんな毎日テレビ見てんのか大変だな!と思ったくらい。
自分の部屋にテレビがなくて、リビングのそれは基本的に母が占領しているから、そうなるとあんまり見る時間がないし、大阪では(わたしは大阪在住だ)クロニクルの放送もなければ、関ジャムも社会人泣かせのド深夜放送で、ついでに言えばジャニ勉も同じく。彼らの出ているテレビを、リアルタイムで見るという選択肢は、わたしの中ではかなり優先度が低い。
だから、余計にすばるがいなくなる実感を掴めていないのかもしれない。

あんまり泣くのが得意じゃない。
というより、周りの友人が基本的にめちゃくちゃ泣くのが上手い女たちなので、なんとなくそれを見ていると冷静になってしまうところがある。
4月は、ふと一人になったら泣き出したりもしてたけど、クロニクルのHeavenly Psychoでちょっと泣いたけど、なんかやっぱり実感がなくて。クロニクル見るために、わざわざ関東まで行ったのにね。
ジャニ勉で『6人の』って紹介のされ方に、当たり前みたいに一人欠けてる状態で掲載されるテレビ誌に、少しずつ、ああキッツいなあ、とは思うのに。

バラエティにおける渋谷すばるのひとことの破壊力とか、たたずまいとか、実は誰も否定しない、ぜんぜん昭和型じゃないやさしいバラエティをするようになったとことか、あの人の地頭のよさがわかる独特の回路とか言葉の選び方とか、めっちゃくちゃ好きなのに。
なんだかんだ、関ジャニ∞っていうバンドを背負って真ん中に立つすばるに出会ったのが最初だったから、きっと、すばるのいないライブで、すばるの声がしない音源で、やっとわたしは彼との別離を理解できるんだと思う。

最初に関ジャニ∞がバンドをするんだ、って意識したのは、たしかマイホーム披露のMステだったと思う。
当時ちょっとジャニーズを斜めに見ていたわたしは、まず、えっバンドやるんだ、ってびっくりして、記憶上であいまいだけど、とんでもなくどヘタクソな生演奏に、ほんとうにほんとうに度肝を抜かれた。なんでこの子たち、このレベルで生演奏やってんの、と思った。
わたしの好きなギタリストは、新曲披露のたびテレビで当て振りをさせられることに再三文句を言っていたので、これなら彼も弾かせてよ、と思ったのだけはくっきりと覚えている。
なんだかんだ言ってももともと関西の男の子たち、というだけでぼんやり贔屓目にはしていて、たしか冒険MAPもちょこちょこ見ていたような気がする。
そんなわたしがもう一度、関ジャニ∞と出会い直したのはこれまたバンドだった。
M-ONで放映されていた、ここにしかない景色のPV。「ようこそ」から始まるやわらかい声と曲調がとても好みで、気がついたら食い入るように見つめていた。
デニムの衣装と赤で統一された楽器の色使いがとてもすきなPVだった。今でも一番すき。
わたしは、ここけし出の新規だ。(テレビで演奏を見て、少なくともマイホームの時よりは上手になってて、それもほっとした)

ジャニーズを好きになることは、中高インキャで育ってきた自分にとってけっこうな冒険で、なんとなくクラスの中心の華やかな子たちが好きになるものだと思っていたから。
でも、なんとなく「ジャニーズ詳しくないけど、関ジャニは好きやねん」は、めちゃくちゃ言いやすかった。
関ジャニ、大阪の人らやしおもろいし、バンドやるし。そんな言い訳を少しずつ混ぜて、あんたがジャニーズ?と言っていた周りに、ふんわり納得してもらってきた。
だからきっと、彼らがバンドをやってくれなかったら、北海道から福岡まで、彼らのライブを追いかけるような楽しい経験はできなかっただろうなあ、と今でも思っている。

さっき(7月14日の深夜3時)、ようやっと、7月8日に関東で生放送された関ジャムを見た。
たぶん普通に平日に見たら仕事にならんな、と思ったから、一週間寝かせてしまった。恨むぜABC放送。

メンバーみんなが振り返りで選ぶセッション、当たり前かもしれないけど、どれも『自分が』じゃなく『すばるが』ばっかりで。
こういう風に放送されるって知らなかったのかなあ、選んだセッションにつけたコメントを読み上げられて、恥ずかしそうにくすぐったそうに笑ってて。
そのどれもに、すばるくんがキラキラの目で、顔いっぱいで反応してて、それはわたしが知ってる、少なくともここ5年ずっと見せてもらってきてた、『関ジャニ∞の中にいる渋谷すばる』そのものだった。7人さいごですってでかでかと看板貼られた、そんな生放送の最後まで。
関ジャムですばるが得たものはきっととても大きくて、久保田さんとのセッション、まだまだ伸びしろがあるって教えてもらったって言ってたみたいに、いろんな音楽にこの番組で触れたことも、今回の別離のきっかけになってしまったんじゃないかと勝手に思ってて。
でも確かに、最初は自分が自分がって聞こえてた、ゲストアーティストと殴り合うみたいだったときもあったすばるの声が、どんどんいろんな色になって、ただの我の強いあかいろだけじゃない、あかいろなんだけどいろんな彩度と明度を使い分けていくみたいに聞こえてて。
やすくんも挙げてたあいみょんとのセッション、あのすばるの下ハモがほんとうに好きだ。メインパートを歌っているところより、ハモの声が、良いなあと思う。あの音源売ってほしいくらい、ほんとうに好き。
主役じゃなくても堅実に自分に与えられた役割の中で最大限を全うできる、そういう男の声に、いつの間にかなってたんだなあ、と思う。
わたしは、4月以降の関ジャムでセッションしてるすばるを見るたび、ジャニーズ辞めちゃったら、関ジャニじゃなくなったら、こういうこともきっと当分はできなくなっちゃうんだよー…って袖を引きたくてたまらなかった。そんなことで留められる覚悟じゃないってわかっていても。
思ってたよりずっと、わたしは関ジャムでいろんなアーティストとセッションするすばるが好きだったんだなあ。過去形になるの、ほんと嫌だけど。

せっかくのスカパラとのコラボ、どのテレビでも見れないの残念だなあと思ってたら、おれたちの関ジャムはちゃんとやってくれた。
メンバーが変わっても続いてきたバンドとのセッションが最後だったのも、もしかしたらそういう意図なのかな、だったらすごいな。すばるにだけじゃなく、これから関ジャニ∞を続けていくって決めてくれた6人にも花を贈るみたいな、そんな選曲だな。
スカパラファンの方のツイートで見たけど、スカパラさん、立ち位置が同じメンバーのメンバーカラーに衣装の色を合わせてくれてたって聞いて、ああめちゃくちゃ有難いなって思った。ジャニーズの中でも、メンバーカラーの主張が特に強い関ジャニ∞に、そんなとこまで寄せてくれたんだなあ、愛だなあ。
セッションは、谷中さんも仰ってたけどほんとうに責任感のある無責任ヒーローで、ちょっと笑ってしまった。めちゃくちゃ楽しそうで、事務所内でもそこそこ中堅どころに差し掛かってきた関ジャニ∞が、まだまだ年上のかっこいいおにいさんたちに遊んでもらえる環境なの、超贅沢だなあと思った。
ファイト 関ジャニ 無限大 エイト、こんな単純なチャントがかっこよくハマる曲だって知らなかったよ。まだまだ知らないことたくさんあるなあ、きっとこれからもあるんだろうな。
ロマネ、MC順の並びで、イントロでりょうちゃんが上を向いたときに、顔の向きを戻した時の口元に、もう泣きそうやんって思っちゃった。
遅れ放送だしその上わたしは一週間ほど寝かせて見てるから、LIFEでりょうちゃんが泣いちゃったのは知ってたけど、ロマネの時点でもうやばかったのかもしれないなと思う。オタクの勝手な憶測だけど。
無ヒもロマネも、せっかくコラボしたのに、ライブではもちろんもう7人の声では聴けないし、少クラとかにも出ないからテレビで聞くのも難しいかなあと残念に感じてたから、関ジャムの選曲はほんとうに有難かった。そう、LIFEを除けばセッションの曲は、きちんと最新アルバムから選曲されていた。ネクストワンだなあ、と思う。
三馬鹿の関係って世界でいちばんきれいでいびつな正三角形だと思ってるんだけど、ロマネは特にそれが顕著で、歌い出しのパート、ヨコヒナは当たり前みたいにすばるくんに真ん中を譲る。
昔は歌苦手って意識があったかもしれないけど、関ジャニ∞として14年やってきてる中で、とくに横山さんはトランペットを始めてから、格段に歌に対する意識が違ってきたと思う。
今ではソロパートも増えて、今現在の関ジャニ∞をきちんと見ていたら、少なくとも頭ごなしに彼ら二人を歌下手コンビと笑えないだろう。時々、それをネタにしようとしている元オタクだったり外野を見るたび、ああこの人更新してないんだなと残念になる。まあそれは置いといて。
ロマネの三馬鹿は、それが当然と疑わずにヨコヒナがすばるくんに道の真ん中を歩かせて、自分たちはその少し後ろを歩いているような感じがする。
ロマネにおいてはそれがきっと今の正解で、すばるくんの声の説得力と言ったらないから、やっぱりまだあの人の声が入ってくることで安心してしまうし。
だからきっと、6人がいつか歌う日が来るなら、そのときのロマネを、そのときのわたしの中の正解にしたい。今は、すばるの歌い出しから始まる、まんなかにあかいろのいるロマネが正解でも、いいって言いたい。弱虫だから。
きっと最後はLIFEだろうなあって思ってた。ライブDVDのメイキング映像まで持ってくる関ジャムスタッフすげーな、とびっくりした。みんな若いなと思ったけどすばるくんマジで基本的に顔変わってなくてビビる。どうなっとるんや。
ぶっちゃけ新規だから古参の人ほどLIFEに思い入れなくて、ライブの大事なとこで必ず出てくるLIFE、めっちゃ説得力あるしめっちゃわかるけど、別の曲がその席に座るライブがあってもいいんじゃないかとか思ってしまうこともあって。(定番曲をセトリから外す勇気を、わたしは英断だと思っている)
でもそういう問題じゃなく、彼らの中ではきっともっと大きな意味を、あの曲が持っているんだな、と頭を殴られた気分だった。
レンジャーでずっと強い言葉を使い続けていたりょうちゃんが、きっと本人は不本意だっただろうけど、さびしくなっちゃった、って涙できたこと、わたしは、良かったねえと思ってしまってそこで泣けた。だって、誰が見てもりょうちゃんがすばるくんのことをとても好きなのなんて明らかで。ジョンとポールじゃなくっても、関ジャニ∞っていうバンドのフロントマンをふたりで担い続けてきたんだから、かっこよく去ってほしいっすね、なんて、冷たくも聞こえる言葉がりょうちゃんの全てじゃないことなんて分かってて。印象に残ったセッションのなかで選んだウルフルズ、ぼくらもメンバー変わってもやっていくし、みたいなスタンスでそこまで強くあろうとしたりょうちゃんの、とても強い虚勢が緩んでしまったのが、ずっとうたってきてたLIFEだったこと、ほんとうに、良かったねえと思った。
今はまだ無理かもしれないけど、だいすきな先輩のすばるくんのこと、これからも好きなままでいてね、と思う。言われんでもそうするわって感じだろうけど。余計なお世話だろうけど。

LIFEの歌詞、めちゃくちゃいいんだよね、ほんとに。
「頑張って」を二回重ねるサビ、光さえ超えろとうたう「駆け抜けて光を追い越して」。めちゃくちゃ関ジャニ∞やん、と思う。
「もう一切、金輪際、弱音や不安を閉じ込めて」。
ここ、ほんとに、太字にして赤いマーカー引きたいくらい、わたしの知ってる関ジャニ∞のメンタリティで、改めてびっくりした。
彼らは「君と僕」で完結するラブソングの世界より、「おれと世界」の自らを鼓舞する曲や、「おれと頑張ってるきみ」の、誰かの背中を押す曲の世界にいることが多いアーティストだと思う。
4月からこっち、あまりに今の状況にピッタリな曲ばかりでびっくりするけど、それだけ関ジャニ∞は誰かを力づけるためのうたをうたい続けていたってこと。
やっぱり言霊ってわたしはあると思ってて、そういう言葉をうたい続けていくうちに、ちょっとずつ積み重なって擦り込まれて、どんな逆境でも前を向いて顎を上げて、少し上の方を見つめてしっかり歩き出す、そういう彼らを作ってきたんじゃないかなあ、と思っている。
自分のツイートの引用だけど、「関ジャニ∞関ジャニ∞たる美学、泥まみれでも泣きながらでも最後には笑って肩組んで歩いて行くみたいな、絶望に中指立てて、かわいそがりたい周りに向かって「アホかめちゃくちゃ楽しいわ!」って強がってくれそうなところ」が、わたしはとっても好きで。
4月のブログでも書いたけど、こんなに強くてうつくしい男たちを、消費のためにかわいそがる外野は勿論、自分が悦に浸るためにかわいそがっているオタクたちも全員張り飛ばしたいと、今でも思っている。目ぇ開いてちゃんと見ろ、かわいそがる要素がどこにある。
道は分かれた、村上くんの言葉を借りれば「袂を分かつ」結果になったとしても、これまで7人が作ってきた関ジャニ∞のかたちは、音楽は、なにも嘘じゃない。
それを何より証明してくれたのが、レンジャー以外ほんとうにいつも通りの関ジャニ∞を見せ続けてくれた7人の姿勢だと思うし、レンジャーでいろんな気持ちを少し覗かせてくれた愚直なまでの誠実さだと思っている。
8人だったものが7人と1人になって、次は6人と1人と1人になる。
わたしは8人時代を知らない新規だけど、過去は消えないことを知ってるし、すばるがどれだけ関ジャニ∞と言う場所とメンバーを愛していたかも知ってるから、彼の旅立ちを裏切りだとは思わない。残された6人という言い方にわたしが真っ先に感じたのは、彼の責任感だった。自分のためにつくったバンドという感覚も、もしかしたらあったのかもしれない。だとしたらそりゃ今回のことは「自分」と、「残していく6人」になるだろう、だってスバラジの主語はすばるだ。せっかく彼が編集なしで伝えたいといった言葉なのに、そこにまで公人を求めるのは酷じゃないかなあ、と外野ながらに思わないでもない。

わたしがこうして、他担とすばるについてつらつら考えられるのも、きっと自担である村上くんが、わたしたちの目に入るところではいつもどおりフラットな姿を見せてくれているからだろう。
旅立ちを決めたすばるのこと、やすくんの体調のこと、心配なことが重なって、平静でいられないオタクの気持ちは痛いほどわかる。わたしも端くれだ。
でも、だからといってそれが、言い方は悪いけど彼らをオカズにした感動ポルノになってはいないか、そこだけは考え続けていたいと思う。
「もう一切、金輪際、弱音や不安を閉じ込めて」とうたう曲を7人さいごに選んだ彼らのこと。
特に村上くんは、渦中にいる間は弱音を吐かないし、ここ最近はあんまり心配されたくないのかな、と感じているので、全部終わってから本人が何か言うまで過剰に心配するのはやめとこ、というのがわたしのスタンスで。だいたいいつも、落ち着いてからポロッとこぼす言葉で、あああの時しんどかったんだなあと思うし気付けなくてごめんねとも思ってしまうけど、本人の望まないところで勝手にかわいそがってしまうのは、わたしは避けたいと思ってオタクをやっている。「気丈に振る舞う村上くん」が心配、って思うことは彼の意地に泥を塗るような気がしてわたしはとても腑に落ちないでいるというのもある。
好きな人のことだから心配だし、それをツイッターに書くのもわたしに止める権利はない。それを他者に強要してほしくないし、事実みたいに言うのも、なんか違うなあと思う。MUSICDAYのオモイダマ、村上くんが涙目だったって何回か見かけたけど、わたしの記憶が正しければあの人あの曲歌うときだいたい涙目だよ。(かわいいね。)

でも、彼らをかわいそがりたい誰かと、彼らに強くあれと強要さえしてしまいそうなわたしの、どちらが正しいんだろう、と考えないでもない。絶対に正しいものなんてないんだけど。

なんか、まとまらなかったけど。途中で個人的怨嗟が混じったけど。

わたしはこれから進んでいく6人の関ジャニ∞を応援すると決めたし、運よくどこかで出会えるのなら、1人で歩いて行くと決めた渋谷すばるのことも、ずっと好きでいるよと伝えたい。
それぞれの門出が、どうか明るいものでありますように。変わることだらけできっとしんどい今回のツアー、終わってみたら「やっぱり関ジャニ∞やなあ!」と笑えるものになりますように。
楽しむ準備だけしていくから、北海道で笑って会いましょう。進み続けてくれて、ほんとうにありがとう。

それぞれの歩く道を、きみたちが追い越したひかりが照らしていくことを祈って。